■期間:1996年9月5日〜1997年3月14日(計191日間)
■滞在国:タイ・マレーシア・シンガポール・インドネシア・フィリピン・インド
■ひとり旅

もともと仏像が好きで仏教に興味があったため、大学では仏教関連の講義を取っていた。そのときの教授がインドの大学で教えていた経験があり、講義の最初にちょっとしたインドでの体験談などを話してくれていた。例えば…、
一緒に通勤していたインド人の教授の歩く速度があまりに遅いのにいらいらし、ある日時間をずらして自分のペースでスタスタ歩いて出勤した。すると大学に着くなり汗が滝のように流れ出し、それが30分経っても止まらず、苦しくて仕事どころではない。
そこで翌日はまた、のろのろと歩くインド人ペースに合わせて一緒に出勤してみた。すると、不思議とそれほど暑くも苦しくもない。それどころかかすかにそよぐ風が気持ちいいくらいだった。それ以来もう二度と自分のペースで急いで歩くことはしないことにした。
私はそんな先生のインド話を聞いているうちに、インドのことが気になりだし、かの有名な「深夜特急」も、なんと「深夜特急〈3〉インド・ネパール
」から読み始めてしまったのだった。
そして夏休み前の最後の講義で先生が言った。
「大学生の夏休みは長いですからね。皆さんもどうです、インドに行ってきては?」と。
この言葉が私にとって大きなきっかけとなった。
「インドのことを調べる」「インドの本を読む」のではなく、「インドに行く」のか!そうか!自分がインドに行っちゃうんだ!
「インドに行く」ことを前提にいくつかインドに関する本を読んでいくうちに、短期のツアーや休みを利用して1ヶ月程度の旅ではなく、じっくり時間をかけた長期の旅をしてみたくなる。そこで大学を休学して旅に出ることを密かに計画し始める。
2年生後期の試験が全て終わってから休学の申請書をもらいに行くと、「休学は留学か病気の学生のためのもので、旅が理由では休学は認められません」と言われ、いきなり出だしからつまずくも、「これは単なる旅ではないんです!」と食い下がり、学部長面接→旅の計画表提出→教授会議を経て、やっとのことで認められた休学だった。
ところがその休学申請書には保護者の署名が必要で、今度はそこから親の説得に入る。女一人、インドへ行きたいと言い出した娘に、「はいそうですか」といかないことは覚悟していたものの、特に大変だったのは父親で、反対と言うよりも、私の旅の計画自体が全く理解できないような様子だった。一体この子は何を言い出したんだ?という様子で一時は私との話し合いすら拒否。「たった一人でどこに泊まるかも決めないまま何ヶ月も旅を続けるなんてことができるものなのか?」という親の考えももっともで、確かに私のまわりに当時そんな旅をした人はいなかった。ガイドブックや旅の本、ゲストハウスのことなどを細かに説明し、約1ヶ月をかけ両親を説得。こうして私の初めての長期ひとり旅はスタートしたのだった。
旅は前半の3ヶ月東南アジアを周遊券を使って飛行機で回り、その後念願のインドを3ヶ月旅した。そしてすっかりインドに魅せられてしまった。
■旅のルート
成田→(タイ入国)→バンコク→(マレーシア入国)→クアラルンプール→マラッカ→クアラルンプール→(シンガポール入国)→シンガポール→(インドネシア入国)→ジャカルタ→ジョグジャカルタ→ジャカルタ→(フィリピン入国)→マニラ→プエルトガレラ(ミンドロ島)→マニラ→(タイ入国)→バンコク→(インド入国)→デリー→ムンバイ→アウランガバード→エローラ→アジャンター→ジャルガオン→アーメダバード→ウダイプル→マウントアブー→ジャイサルメール→ジョードプル→アジメール→プシュカル→ジャイプル→コタ→ブンディ→インドール→マンドゥ→アグラ→ラクナウ→アラハバード→ヴァラナシ→カルカッタ→(タイ入国)→バンコク→成田